いまの仕事とサラリーマンについて思うこと

2023年7月30日

FIREすると決意し会社を辞めたものの、フリーランスとして未だ仕事は続けています。

事情としては、もともと金融機関のリスク管理関係の仕事をしていたのですが、特殊性が強くなかなか欠員補充が難しいということから、上司から半年間でいいので手伝いをしてくれないか、という依頼を受けました。会社の経営方針や経営陣の態度には強い不満があり、それが退職を決意した理由ではあるものの、元の職場に迷惑をかけることには後ろめたい思いがあったこともあり、依頼を受け入れて今に至ります。
委託契約条件としては、月10日間を稼働日にするということで業務量をこれまでの約半分にしました。また、業務内容についても、私が専門にやってきたことに絞られ、雑務からは解放されることになりました。さらには、退職直後は移住費用や社会保険料支払など出費が重なるので、多少なりとも収入が得られることで金銭的な不安を軽減させられています。

ところで、委託業務契約を締結する際に、勤務時間を明確にするため「9時から18時までを稼働時間とする」という条項を入れてもらおうとしたところ、会社の法務部門から「疑似雇用とみなされるので、その条項は削除してください」と指示されました。
そのときには多少の疑問をいただきつつ、承諾しました。そして最近、『ブルシット・ジョブ』(D.グレーバー著、岩波書店、2020年)を読んでいて、その疑問がサラリーマン(ここでは会社と雇用契約を結んだ労働者)の実態につながっていたことに気が付きました。

これを読まれているみなさまがサラリーマンだったとして、「自分の従事している業務が、会社の業績、あるいは社会全体に対してどのような貢献をしているかよく分からない」、そしてそれ故に「仕事に懸命に取り組んでも有意義な結果をもたらしているとは感じられずモチベーションがあがらない」と感じていないでしょうか。かつての私は感じていました。
同書のタイトル「ブルシット・ジョブ」とは、「その仕事に従事している本人でさえその存在を正当化しがたいほど無意味な、クソどうでもいい仕事」と定義されます(もっと長い定義がされているのですが、同書を読まないと意味不明なため要約しています)。
そして同書ではブルシット・ジョブについて様々な考察を加えているのですが、そのなかで「歴史上、(奴隷を除き)ある者の時間を別の者が所有できるという発想は、かなり奇妙なものである。しかし、近代になり時計が一般社会に導入されると、時間に基づく監督技法が普及し、雇用者は労働者の労働時間に対して対価を支払いするという考え方が一般化した。」という趣旨のことが記載されています。「労働時間に対して対価を支払いする」ということは、「労働者の労働時間は、それを購入した雇用主により所有される」ということを意味します。
一方で労働者側も、「一日8時間労働や時間外手当の支給など、雇用主による労働時間の所有を認めた上で、その所有に制約を求めるようになった」とも述べられています。近代化に伴う大企業や大工場の登場は、大量の雇用関係を生み出すことになり、「時間に基づく監督技法」は労使双方にとって客観的かつ効率的な基準として、広く普及したのでしょう。

しかし、時間に基づく監督技法にはさまざまな弊害があります。その一つとして、労働時間が賃金の支払対象になるということは、本来会社が求めるべき労働の成果物の評価が二の次に置かれることになります。サラリーマンの雇用契約においては、被雇用者は会社の就業規則に従うことが求められ、就業規則には就業時間に関する規定はあっても、労働の成果物に関する評価基準は定められていないのが一般的でしょう。
実害として、会社側からすれば労働時間を所有している以上、労働者がその時間内に労働をしていないことは所有物を無駄に消費していることを意味します。仮に通常の2倍の能力をもった労働者が1日4時間で業務を完了したとしても、残りの4時間何もしないことは許容できないので、会社としては不要な仕事でも作り出してその労働者に従事させることになります。
そうなると、人並み以上の能力を持つ労働者は、その実力を発揮するのは割に合わないので、通常の人並みに仕事のペースを落とすでしょう。
こうして、職場に無駄な仕事や非効率な業務姿勢(ブルジット・ジョブ)が生み出されることになります。さらなる問題としては、一旦このような無駄や非効率が生まれるとそれが新たな標準となり、元に戻すことが難しくなります。そうなると時間の経過とともに、会社にはますます無駄や非効率がはびこることになります。
ブルジット・ジョブから派生するもう一つの重大な弊害として、無駄な業務に従事させられると労働者の精神状態は著しく悪化する、と同書では指摘しています。

これらの弊害を防止するためには、労働の成果物の質・量についても賃金決定の際の評価対象に含める必要があります。それに対して、すでに多くの会社で人事評価制度が導入されているとの意見もあるかもしれません。私も人事評価制度のもと長年評価対象となっていましたし、評価者として部下の評価を行ってきました。その経験をふまえ、表面的に人事評価制度を導入してもとても有効に機能するとは思えません。営業職や事務職のように成果が比較的明快で数量化しやすい職種はともかく、リスク管理など内部管理職の労働成果とは何なのか。その仕事の良し悪し(品質基準)はどのように判断するのか。営業職や事務職など他職種との評価の整合性はどのように取るのか。これらの問題を解決し人事評価制度を有効に機能させるためには、会社全体の成果物とその品質基準を明確にした上で、それに対する各部署に期待する成果物と品質基準、そして部署内における各人員に期待する成果物と品質基準をトップダウンで定める必要があると私は考えています。

現在の私の仕事に話を戻します。
先に法務部から指摘を受けた通り、私はもはやサラリーマンではないので労働時間を切り売りしているのではなく、会社から受託した業務の成果物を納めて報酬を貰う立場となりました。
それではどの程度の成果をあげれば報酬に値するのか、というのが少し悩みとなっています。
そんなことは業務委託をする会社側で判断する事かもしれませんが、私としては労働の成果物評価、会社の業績、労働者のモチベーション等の相互関係に興味があり、わがことを事例に少し考察を深めてみたいと考えています。

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