美人投票
● 経済学者 J. M. ケインズ
「美人投票」の例え話は、イギリスの経済学者J. M. ケインズの著書『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936、以下『一般理論』)に記されています。
この『一般理論』は、1929年大恐慌による大量の失業者問題が長期化する中、政府による財政政策や金融政策の必要性を主張したもので、各国の経済政策に大きな影響を与えました。
もちろん、本書は株式投資のノウハウ本ではないものの、ケインズは株価(※本書において「株価」ではなく「市場の評価」という用語が使用されていますが、ここではそのように表記します)がその企業の投資活動に与える影響を重視しており、「12章 長期期待の状態」に株価の形成メカニズムが分析されています。
なお、以下『一般理論』の引用(青太字)は、間宮陽介訳(岩波文庫)によります。
● 株価を形成する要因はなにか
12章の冒頭部分には、以下のように記されています。
「本章では、資産の期待収益を決定する諸要因のいくつかを、もう少し詳しく考えてみることにしたい。」
ここで「期待収益」は、前回説明したファンダメンタルズ分析により計算されるものと考えてよいでしょう。株価(=企業価値)の形成にあたり、その企業が将来あげると見込まれる収益は最も重要な情報と思われます。
ところがケインズは、
「真正な長期期待に依拠する投資は今日ではほとんど不可能なほどの難事となっている。」
とファンダメンタルズ分析に基づく投資をほぼ否定しています。
なぜならば、投資家の行動原理を以下のように説明しています。
「彼ら(玄人筋の投資家や投機家)のたいていの者は、実際には、投資対象のその耐用期間全体にわたる期待収益に関して、すぐれた長期期待を形成することに意を用いるのではなく、たいていの場合は、評価の慣習的基礎の変化を、一般大衆にわずかばかり先んじて予測しようとするにすぎない。」
ある投資家が期待収益が増加すると見込んでその企業の株式を購入しても、後から他の投資家がその株式を買わなければ、株価は上昇しません。逆に、企業価値が大したことはなくとも、何らかのきっかけで慣習的評価が高まって買いが集まれば、株価は上昇します。よって、玄人投資家は期待収益に基づき投資を行うのではなく、一般大衆の慣習的評価の変化を先回りして株式を買入することで利益を上げようとします。すなわち、よい企業だから買うのではなく、他の投資家が買う見込みだから自分も買う、というわけです。また、この行動原理は投資家の動向をみるテクニカル分析に通じるところがあります。そして、その例え話として「美人投票」が記されているわけです。
なお私としては、短期的な株価動向に関してはケインズの説明の通りだとは思います。が、バフェットさんのように綿密なファンダメンタルズ分析に基づく投資によって巨万の富を築き上げている投資家がいるも事実ですので、長い目で見れば長期期待は株価に大きな影響を与えるものと考えます。
● 美人投票
前置きが長くなりましたが、いよいよ「美人投票」の話に入ります。
この「美人投票」は、以下の通り少々変わったルールです。
「新聞紙上の美人コンテスト、参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの6人を選び出すことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという趣向のコンテストになぞらえてみる」
「参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人」が分かりにくいですが、総得票数上位6名を一番多く当てた人というような意味と考えられます。
このとき賞品を狙いに行くためには、
「それぞれの参加者は自分がいちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心も最も捉えられそうだと思われる顔を選ばなければならない。」
人それぞれ好みがありますので、自分の好みで投票しても賞品は狙えません。そこで他の参加者の好みを予想するわけですが、それでもなお不十分です。なぜなら、他の参加者も自分の好みを捨てて、他者の好みを予想して投票するからです。
「ここでは、判断の限りを尽くして本当に最も美しい顔を選ぶということは問題ではないし、平均的な意見が最も美しいと本当に考えている顔を選ぶことさえ問題ではない。われわれは、自分たちの知力を挙げて平均的意見が平均的意見だと見なしているものを予測するという、三次の次元まで到達している。」
「中には、四次、五次、そしてもっと高次の次元を実践している者もいる、と私は信じている。」
参加者間で腹の探り合い、裏の裏のかき合いが起こるというわけです。
しかしここまでくると、もはや美人を選ぶためのコンテストではなく、単に得票上位者当てクイズとなりますが、それが株式市場における株価形成メカニズムの実態である、というのがケインズの主張です。
また、ここで参加者間の腹の探り合いがテクニカル分析、自分なりに美人の基準を設けて評価を行うのがファンダメンタルズ分析に相当するでしょう。
● 余談
私は、大学時代に経済学を専攻しており、ゼミで『一般理論』の原書を読んだ、というよりは読まされました。
当時はあまり理解できなかったのですが、会社員・投資家経験を積んだいま改めて読み返すと、よく頭に入りその洞察力に深い味わいを覚えました。
調べてみると、ケインズは株式投資で成功し、財を築き上げたとのこと。経済学の枠にとどまらず生きた経済にも精通している、これぞ真の経済学者ですね。